餅についてまとめました。
今日の言葉:意地商いは破滅のもと。
スーパーに国産牛・○○県産牛・オーストラリア産牛があったけど・・
のですが、「国産」と「○○県産」の肉の表示の仕方が違うのはなぜなんでしょうか??普通、国産牛に○○県と書くなら全ての国産牛の産地を書きますよね?なぜそのスーパーの「国産牛」は県が書かれ....
前沢牛!佐賀牛!熊本味彩牛!どれがお得?
でいます。。すきしゃぶ用の牛肉にすることは決定しましたが、岩手県前沢牛(肩、モモ270g)佐賀県佐賀牛(モモ、バラ280g)熊本県味彩牛(モモ300g)で悩んでいます。普段、こんな高級肉を食べないので、美味し....
仙台牛と仙台の牛タン
いえば「牛タン」ですが、ネット上で通販しているものを探していたところ仙台の牛タンは「仙台牛」ではなく味付けが仙台独特と書かれているサイトがありました。実際に、通販ではオーストラリア産の牛タンを「仙台牛タン」....
なぜ人間を食べちゃいけないんですか?
なぜ人間を食べちゃいけないんですか?質問を見た人100人のうち99人は「お前頭おかしいんじゃねえの!?」と思うでしょうね…。始めに断っておきますが食べるつもりとかありませんからね(笑)エイリアンじゃあるまいし…。最近捕鯨問題が話題になってます。そして捕鯨反対派の中には「鯨は頭がいいから殺すのは野蛮だ!!」という人がいます。僕はこの意見に賛成できません。頭がいいものを食べるのは野蛮だっていうのはおかしな理屈です。豚だろうが、牛だろうが、鯨だろうが同じ命です。それに優劣をつけることはできない…。何かを殺すという事実に優劣をつけるのは自己満足にすぎない…。僕はこう考えます…。でも優劣をつけないと言いながらそこには人間は入ってません。もし人間を食べてる人を見たら僕は間違いなく”野蛮”だと思うでしょう。いやもう”野蛮”とかの問題じゃなく止めます、確実に…。それこそ武器を持って食べようとしてる奴に襲い掛かるかも…。でもでも、命に優劣がつけれないと自分で言っておきながら、ここで優劣をつけるのもなんか不自然な気が…。もしその民族が人間を食べて生きてきたなら、それも文化として許されるのでしょうか?僕はたぶん許せない…。さて、なんで人間を食べるのはいけないのか…誰か説明できる人はいますでしょうか?ちなみに「じゃあ、お前が食われろ!!」とか「大切な人が殺された時どう思いますか?」なんて意見も多いと思います。「人間食っていいなんていったら社会が大混乱するじゃねえか!?」って意見もあるでしょう・・・。これらは正論だと思います。でも、森の奥で猿と人間の中間くらいの生活をしてる人間を食べているとしたらどうでしょう?あるいは食べるためだけに養殖してるとしたらどうでしょう?もちろん、何も勉強とか教えません(知識がついたらむしろ可哀想です)。こういう条件下で人間を食べてる民族があったらどうでしょうか?僕はそれでも野蛮だと思うし、それこそどこかの機関に抗議してやめさせると思います。でもそれってやっぱり”命の重さ”に優劣をつけてるから野蛮だと感じてるってことです…。なぜ人間を食べるのはいけないのか、誰か説明できる方はいますか?やはり無意識のうちに”知能の高い生き物を殺すこと”に抵抗を感じてるからなのでしょうか?
すごく怖かったです、生きることが。
すごく怖かったです、生きることが。父は怒るほうでした。家でよく怒鳴ってました。くだらない子供と言われ続けました。なので自分でもそう思ってました。自分は何をしても駄目な人間なんだと思いました。そして生きることが怖くなりました。社会に出るのが怖くなりました。私のような駄目な人間が生きていけないと。生きていけても、そのようなことを全ての人に言われ続けて生きていくのだと。生きることが怖いと強く思っていたのは小学生の頃です。その後は麻痺していきました。何を言われても涙が出るだけです。何の感情もありません。無表情で泣くことを覚えました。涙を流すことで”無”になれることを知りました。中学校の頃は涙を流すことを日課にし、何も考えないようにしました。そしてもう一つ生きる期限を決めました。30になる前に死のう。そうすることで生きていく恐怖心から逃れることが出来ました。ただ父を嫌いなわけではありませんでした。駄目な子供で申し訳ないと思っていました。そして尊敬していました。父の言うことは全て正しいと思っていました。なので、怖かったのです。現在はもう、数年前には成人し全くそのような状況ではありません。そのような記憶も感情も忘れていたくらいです。しかし、たまに思い出しては、このようなことを書き綴りたくなるのです。そして、今回私が聞きたいことは何が正しいのかということ。正直、なにが正しいのか分かりません。あの頃と今と、全く見る風景が違います。もしかすると、今は麻痺してしまっていてあの頃みていた風景あの頃感じていた”生きる”ということが正しい、真実ではないか、と、時に感じます。あの頃の独特の心音。色味のない冷たい風景。刺さるような空気。これらを忘れてもいいのか、考え込んでしまうのです。メンタルヘルスのカテゴリーを覗かせていただいていると、このような中に生きる人がたくさんおられるような気がします。つまりは、あの頃の私のいた世界が妄想ではなく、実際に存在すると思うのです。きっと、このままいくと私は完全に忘れてしまうかと思います。忘れたほうがいいと思っていました。しかし時には思い出し、胸に刻み付けておくべきだとも思い始めたのです。このようなことを書くのはこれで最後にしたいと思います。どのような回答でもかまいません。感想でも、意見でも、独り言のようなものでも。ほんの一行の言葉でも。今は多くの方の言葉が聞きたいのです